――第七班の、事実上の解散。

 解散なんていうとナルトやサクラに怒られそうだからオレはそう言わないようにしてたわけだけど。
その責任の重圧に焦りがなかったといえば嘘になる。
前しか見ていない二人に変わって、もしもの時には判断をくださなければならないだろう。
それがわかっているからこそ、周囲からの憐れみや同情の目は正直、なんというか……うざい、と、思っていた。

 だからその日も、ああよりによって会いたくない人に会っちゃったなって、
なにか声をかけられるのも面倒だし何も言われないのもむず痒いし、
顔合わせたくなかったなーなんて思ってたんだけど。
受付の机越しに、お疲れ様ですって声をかけられた瞬間に、
もー先生ちょっとさー、オレもううんざりなんだけど。今日何時までなの?
ね、一楽奢るからさ、ちょっと聞いてよ……なんて、気づけばオレから誘い出していた。

 まさかオレにそんな勢いで誘われるとは思っていないその人は、オレですか!?なんて焦ってて、
その顔を見てなんだか脂下がるような気持ちになって、楽しくラーメン食って帰ったっけ。

 その日からだと思う。
その男、うみのイルカに恋をしたのは。


 恋はいい。
想っているだけで心が暖かくなる。
この人の為に頑張ろうと思える。
恋という感情の特性がそういうものなのか、うみのイルカの人柄がそうさせるのかは分からないが、
自分にとって初めて抱くこの感情が大切なものであることに変わりはない。
できれば墓場まで持っていきたい。

 そんなわけで今日も、秘めた想いを胸に抱いたまま日々の業務をこなしていく。
生死の境を彷徨った日もあった。巨悪との戦いの中で、死を覚悟した時もあった。
その度に脳裏によぎるのはやはりイルカ先生の顔で、この人に出会えただけでオレの人生は悪くなかったと思えるほどだ。
この想いを誰にも伝えられないのは少し寂しいけれど、この暖かい気持ちを知れただけで充分だ。
オレは木ノ葉一の幸せ者だ。

 ……そう思いながら命を終える予定だったんだけど、なんだかんだと生き残り、オレの幸せは継続中。
己の立場を火影と改めて新たな人生を歩んでいる。
想像を絶する重圧に押しつぶされそうになることもあるが、そんな時にもまた、イルカ先生を想うことで乗り切れる。
ああ、恋はなんて素晴らしいんだろう。






「一生の恋」








 ――浮かれた様子で書類を整理しているカカシを横目に、ひっそりと息をつく男がいた。
奈良シカマル。彼は六代目火影となったカカシの側近として仕事をこなす傍ら、カカシの対応にほとほと困り果てていた。

 仕事の内容に不満はない。……いや全くないとは言わないが……、カカシの指導はハッキリ言ってスパルタだ。
次から次へと戦術に関する意見を求められ、少しでも甘い目算を立てようものならすぐさま指摘される。
1日が終わる頃には心身ともに疲れ果て、家にはただ、寝に帰るだけの日々が続いた。

 しかし、それはそれで構わないとシカマルは思っていた。
いつか本当にナルトが火影を引き継ぐならば、自分もそれを支えたいと思う。
その為にカカシが自分を側に置いてくれているのは分かっているのだ。
おかげで毎日の業務にもずいぶんと慣れてきた。
……それに、自分を家に帰した後もカカシが火影としての業務を遅くまで続けていることを知っているだけに、文句の言いようがない。
問題は、そんなカカシの密かな恋についてである。

 もっとも、秘密にしているのかどうかも怪しいようなものなのだ。
うみのイルカを前にしたカカシときたら、やたらと浮かれ、声が上ずり、見たことのないような笑顔でデレデレし始めるのである。
イルカが立ち去った後もしばらく上機嫌が継続するのはありがたいが、上機嫌ついでに無理難題をふられることもままある。
かと思えば、ぼんやりと窓の外を眺めながら「イルカ先生も彼女とかいるのかな…」と独り言ちていたりする。

 シカマルには、カカシに対して数え切れないほどの恩がある。
カカシのささやかな恋の成就を願う気持ちが生まれるのも、当然と言えるだろう。


 「ヤマトさんは、どう思います?」

 任務の報告と休暇のために執務室を訪れていたヤマトを引き止め、なにが、とはあえて言わずに尋ねてみる。
それだけでヤマトはシカマルが何の話題を持ちかけて来たのか気づいたようで、
流石上忍というべきか、それとも、カカシとの付き合いの長さが成せる技なのか。
後者であると言い切るには苦々し過ぎる表情を作ったヤマトは、深く深く息をついた。

「僕は、その件についてはノーコメントで……」

 シカマルは、そそくさと立ち去るヤマトの後ろ姿を眺めながら、ヤマトのその態度と日頃の2人の関係性から、ヤマトが渋い顔をする理由をなんとなく悟ってしまう。

 彼は思った。めんどくせぇ、と。

 おそらくヤマトとカカシとの間には、既に色恋に関する話題が出たことがあるのだろう。
そしてそこで何かうんざりするような事があった。
まぁなんとなくの想像はつくが、深く考えるのはやめておこう。

 彼は次へと思考を巡らせる。
この手の話題に強いのは自分のまわりだと山中いのが最適だが、彼女へ助言を求めると後が面倒だ。
かといって自分の近しい友人らの顔を思い浮かべても、ナルト、キバ、チョウジでは話にならない。
そうなるとあとは夕日紅の顔が浮かぶばかりだが、紅にはあまり頻繁に顔を出さないようにと釘を刺されている。
……自分には手に余る案件なのだから、今回ばかりは許して貰えないか、どうだろうか。

 執務室近くの通路で立ち尽くし、眉根を寄せていたシカマルの視界に、ひょこりと黒い影が揺れているのが見えた。

 ん?

 あれは。

 あの揺れる黒髪は。
今まさに解決しようと動いている案件の標的となる人物ではないのか?

「イルカ先生ェー!!」

 渡り廊下の向こう側へ歩いて行こうとするイルカを呼び止めると、イルカは足を止め、シカマルに向かって手を振り微笑んだ。
ええい、なるようになれ!

「先生、この後時間ありますか?」


 ――イルカとの待ち合わせの定食屋でそれぞれに飲み物を頼み、ひと心地つく。

ここは定食屋だが夜には酒を出すし、一品料理なども提供している為に、打ち合わせなどを兼ねて利用する者も多い店だ。
今日はシカマルに合わせて酒は飲まないが、2人でつまめる程度の料理も注文しておいた。
話が弾むうちに足りなくなったら追加で頼めばいいだろう。

 ちらりと、メニュー表を眺めるイルカを盗み見る。
カカシほどではないが、イルカとて多忙の身だ。
本来なら約束もなしに昨日今日で時間が取れるわけがないのだが、イルカはシカマルの誘いを二つ返事で承諾した。
元生徒の誘いを無碍にできないと思ったのだろう。
自分が同じ立場だとしたらイルカと同じことができるだろうかと考えて、シカマルはすぐに否と結論付ける。
自分だったら面倒なことは避けて通るだろうし、今のイルカのように「まさかお前と向かい合って飯食う日が来るとなぁ」などと、心から嬉しそうな表情を浮かべて話すことはできないだろう。
生徒であった頃には気づかなかったが、今ならとても頼もしい先生だと思える。
カカシもイルカのこう言うところを好ましく思うのだろうか。

「それで?何か悩みでもあるのか?」

 尋ねられ、少し言葉に迷う。
が、回り道してもしょうがない話題だ。単刀直入に切り込むしかない。

「先生は、カカシ先生のこと、どう思ってんすか?」

 おそるおそる尋ねると、イルカはじっとシカマルの目を見つめ返した後、息を吸い、大きくため息を吐きながら、正していた姿勢を崩し机に崩れ落ちた。

「お前までそんなこと言うようになったのかぁ」

 お前まで、とは、どういうことだ。
困惑するシカマルを見て、イルカは小さく笑った。

「最初はサクラだったな。いのと一緒にやって来て、2人は付き合ってるんですか?ってな」

「えっ」

「シズネさんにも、カカシ様をなんとかしてください!なんて言われちまうし、ヒナタには心配されるし、紅さんなんかもカカシさんの様子が楽しいみたいで冷やかしてくるし……」
「あとは、キバも意外と早かったなー。あれって臭いとかで人の考えまで分かったりするのかな?」
「極め付けはサスケだ。こないだ里に戻って来た時に、まだ進展してなかったのか?って言われちまったよ……そんなのオレが聞きたいよなぁー」

 今度は伸び上がり、天井を見上げるイルカ。
つまり……つまりどういうことだ?

「えっと、あの……付き合ってるわけじゃないんですよね?」

 念のため確認すると、付き合ってないよ、と返される。

「でも、カカシ先生の気持ちは知ってるってことですか?」

 こくりと頷くイルカ。

「本人に確認したわけじゃないけどな。流石に気づくよ」

「じゃあ、気持ちに応える気はないんですか?」

 シカマルが慌てると、イルカはうーんと唸り、しばし考える仕草を見せた。
そしてゆっくりと口を開く。

「たぶんオレも、カカシさんと同じような想いを、カカシさんに対して抱いてるよ」

「だったら…「でもなあ」

「恋愛って、必ずしも成就させなきゃいけないものなのかな?」

 じっとシカマルの目を見つめるイルカだが、その顔に表情はない。
……今、なにを言われたのだろう。
想い合うふたりがそこにいるなら、恋人となって寄り添って行くのが当然ではないのか。
温度のない表情のまま、イルカは淡々と話し続ける。

「一緒になると、相手の嫌なところも見えてくるだろう。お互いに傷つけ合うことだってあるだろう。
 そうでなくても、オレはもうずっと1人で居たから、今更誰かと寄り添えって言われても、
 自分の生活を乱されるのを良しと思わない人間もいるんだよ」

 淡々と話すイルカは、視線こそシカマルの方を向けているが、その目は何も見てなどいなかった。
シカマルは、見たことのないイルカの表情が示す意味にここではじめて思い当たる。
これは、拒絶だ。
初めて受けるイルカからの明確な拒絶に、指先が温度を失って行く。

 何がイルカをそうさせるのか。自分は一体どこで間違えたのか。
シカマルは必死に思考を巡らせるが、その答えはわからない。
だけどイルカは、カカシが上機嫌にイルカに声をかける時、その隣で少し困ったような、だけど満更でもないような顔で微笑んでいたではないか。
だから、このふたりにはきっかけがないだけで、いつかは結ばれるのだろうと思っていたのに……!

「そんなの、他人同士なんだから当たり前じゃないですか。
 お互い、嫌なところがあっても、喧嘩しても、お互いのことが好きだから、仲直りして、一緒に居ようとする、それが恋愛なんじゃないんですか……?」

「お前たちみたいにもう若くないんだ。仕事も忙しいし、そういうことに時間をかけていられないんだよ」

 震える声を抑えながら食い下がっても、イルカの拒絶の壁は崩れない。
若くないとはなんだ。
確かに自分よりは年高であるが、カカシもイルカも何もかもを諦めてしまうような年齢ではないはずだ。
それに……それに……

「じゃあアスマ先生は、いい年して恋愛にうつつを抜かしてたとでも言うんですか」

「そんなことは言ってない」

 無表情を貫いたイルカの眉間に、一瞬だがシワが寄る。
シカマルはそれを見逃さない。

「若くないってなんですか。生活が乱される?そんなん言い訳になんねえっすよ」

「アスマ先生は、紅先生のお腹に子どもができて、それで煙草をやめてました。あんなにずっと吸ってたのに……。
 でも、アスマ先生の生活は確かに乱されたかも知れないけど、だけど、"玉を守れ"ってことを教えてくれたアスマ先生が、それで不幸になったとは思わない」

「オレはアスマ先生とは違うんだ」

「違わねえでしょう!アンタ、ミライが産まれた時、めちゃくちゃ喜んでたじゃないですか!目に涙浮かべて、本当に嬉しそうに……!
 そうやって、ふたりが結ばれたことを祝福できるアンタが、自分の幸せから逃げてんのはなんでなんすか!」

「それをお前に話すつもりはない……!」

 いよいよ声を荒げたイルカに、シカマルの感情が、焦りから怒りへと変わる。

「そうっすか……じゃあ……勝手にしろよ……!」

 ドン、と机を殴りつけ、シカマルは店を後にする。

 シカマルが去ったあと、イルカは、すっかり冷めてしまった2人分の料理を、一口ずつ咀嚼し、飲み込んだ。
いつも頼む定番の料理の味が、今日はほんの少し、塩味が強いように感じた。


 ――うみのイルカには、憧れの恋愛像があった。それは、自分の両親だ。

 幼い頃、夜中にふと目が覚めた時、リビングで幸せそうに笑い合う両親の姿を見た。
いつか自分にも、こうやって寄り添い合えるような相手ができるだろうかと強く憧れた。

 両親が亡くなってから、その想いはより強くなった。
三代目は孤児となった者たちの元へ頻繁に訪れてくれていて、後に、孤児への支援や訪問が火影の公務の1つなのだと知ったのだが、
今考えても、三代目は公務である以上に思いやりを持って自分たちと接してくれていたとイルカは思う。

 当時のイルカは、好んで両親の話を聞きたがった。
三代目から聞く両親の話はどれも楽しくて、自分の両親がとても優しく秀でた忍びであることを知れるのが、嬉しくてたまらなかった。
自分も両親のようになりたいと心から願い、そして、そんな話を聞かせてくれる三代目に懐くようになり、この里を愛するようになった。

 それから、いくつか恋をした。
そのほとんどがうまくいかない恋であったが、その経験はイルカの糧となった。
しかし、教師の道を目指すと決めた頃から、恋愛に割く時間も心の余裕もなくなっていった。
三代目に教わった里を愛する心を次世代の子どもたちにも知って欲しいと思うと、なかなか一筋縄ではいかず、職務に奔走する日々が続いていった。

 両親を大切に想うからこそ、それを失った悲しみは癒えず、悲しみが深いほど、そこに根付いた憎しみも消えなかった。
だから、ナルトのクラスを受け持つこととなったのは、イルカにとって大きな試練となった。

 ナルトの中の九尾が憎い。
だがナルトには、三代目が守るこの里の民として、平等に愛される権利があるはずだ。
己の心に何度も何度も問いかけ続け、ようやくナルトを卒業させた時にイルカが得たものは、イルカ自身の心の成長だった。

 やがて、イルカはまた恋をした。

 中忍試験の御前会議の場で自分を強く非難したカカシが、その裏で誰よりも平等にナルトたちを育ててくれていることに気付き、心が震えた。
その平等は、イルカにとって簡単なことではなかった。
平等とは深い愛がなければと為し得ないことだと、イルカは知っていた。
その深い愛を持つ人物に、気づけば心ごと惹かれていた。

 イルカは恋にこそ落ちたが、その恋を実らせようと思っていたわけではなかった。
イルカとカカシとでは立場が違う。
ほんの偶然の巡り合わせで、カカシという人物と知り合えただけで十分だと思っていた。
だから、第七班がバラバラになってしまってすぐ、カカシに食事に誘われた時には本当に驚いたのだ。

 それからのカカシはとても熱烈で、時間が合いさえすれば何度でも食事に誘われた。
カカシは任務で里にいない日の方が多かったので、里でとる食事のほとんどをイルカと共にしていたのではないかと思うほどだった。
機嫌の良さそうな笑顔を浮かべるカカシを見ているうちに、ひょっとして、と、期待してしまう気持ちが膨れ上がった。
しかしカカシは、一緒に食事をとるだけで満足そうに帰って行ってしまうのだ。
カカシがなにを思って自分との時間を過ごしているのか、イルカにはわからなかった。
イルカは、食事だけでは満足できなかった。

 カカシの手を取りたかった。
カカシと抱きしめ合いたかった。
カカシの温度を知りたかった。
カカシの頬に触れたかった。

 イルカはやがて、この恋に期待を持つことをやめてしまった。

 恋は辛い。
想っているだけでは虚しくなる。
この人の為に何かしてあげたいと思ってしまう。
相手がそれを望んでいないなら、そんなものはただのエゴでしかないというのに……。


 ――最初にイルカの元を訪れたのはサクラだった。
春野サクラは少し緊張した面持ちで、その頬を桜色に染めながら、先生は、カカシ先生と付き合ってるんですか!?とイルカに尋ねた。
付き添いとして共にやって来た山中いのも、固唾を飲んで見守っていた。

 そうか、傍から見るとオレ達はそんな風に見えるのか。
イルカはどこか他人事のようにそう思った。

「仲良くさせては貰ってるけど、そういうんじゃないよ」

 イルカが答えると、ほらやっぱりー!えー!絶対そうだと思ったのにー!と、当人であるイルカを置いて2人は騒ぎ立てた。
在学中の2人を思い出し、なんだかんだと喧嘩しながらも仲のいい2人に戻ったことが、イルカは嬉しかった。

「お前らなぁ……そういうことに偏見がある人だっているんだから、無闇に詮索するんじゃないぞ」

 強い口調を装ってそういうと、サクラ達は渋々と立ち去って行った。

 サクラ達の代では、同性愛だとかそういうものに対する偏見がなくなっているのだろう。
自分の代ではまだ同性愛に抵抗を感じる者が多いのだが、火の国で流行りのバラエティ番組では、同性愛をカミングアウトする者たちの恋愛トークが繰り広げられたりしているらしいのだ。

 いい時代になった、と言っていいだろう。
だがそれはイルカにとって、遠い世界の話に過ぎなかった。

 次にイルカの元へやって来たのはシズネだった。
火影となったカカシのオーバーワークについて、何故かイルカに抗議に来たのだ。

「イルカさんからもなんとか言ってあげてください!あれじゃあ身体が持ちませんよ!」

 シズネの勢いに圧倒されるイルカ。
聞けば、食事や睡眠の時間も削って机に齧り付いているというではないか。
確かにカカシは働き過ぎだと思う。しかしイルカは、それをどうこう言える立場にない。
申し訳ないと伝えると、シズネは目を見開いた。

「わ、私はてっきり、おふたりはそういう仲だとばかり……!ご、ごめんなさいー!」

 彼女特有の悲鳴を上げながら慌てて立ち去っていくシズネがなんだかおかしくて、イルカは1人声を上げて笑った。
どうこう言える立場になれたらどれだけいいだろう。諦めたはずの想いがぶり返す。
いや、やめよう。考えても仕方のない事だ。
以前と比べてカカシと食事を共にする時間は減ったが、仕事で出会う頻度は増えた。
その度に嬉しそうにしてくれるカカシを見るだけで、それだけでいいではないか。
その日はせめて好物のラーメンでも食べて気持ちを満たして帰ろうと、一楽へと足を伸ばした。

 日向ヒナタは、カカシの想いがイルカの負担になっていないかと心配でイルカを訪ねてくれたようだ。
ナルトへ向ける自身の想いとカカシの想いを、自分の中で重ねてしまったのだろう。
とても優しい子だ。ヒナタがまだ在学中の生徒だったなら、その頭を撫で回してやりたいところだ。
代わりにその肩にそっと手を置き、なるべく優しく微笑みかけた。

「心配してくれてありがとうな。でも、大丈夫だぞ。誰かに想われて嫌だと思うやつなんかいないさ。
 ……ナルトならどうだと思う?誰かの想いを邪険にするようなやつだと思うか?」

 ヒナタは少し考えてから、小さく首を横に振った。
それから少しして、ナルトとヒナタが付き合うことになったと聞いた。
そういえばヒナタは、どんなに恥ずかしがっていてもナルトへの想いを否定したり誤魔化したりしたことがなかったように思う。
強い子だ。オレなんかよりもずっと。

 それから何人もの人にカカシとのことを言及されるようになったが、その度にのらりくらりとかわして来たつもりだった。
だが、それも限界に近づいている。
シカマルがあそこまで声を荒げるとは正直思わなかった。
彼もまた、イルカの知らぬ間にいろんな経験を積んだのだろう。
恋を、知っている口ぶりだった。

 イルカは気づいているのだ。
カカシとの仲に進展がないことを、カカシのせいにばかりしていることに。
自分からは何も動こうとしないくせに、勝手に諦めたフリをしている自分に。
だけどイルカは怖かった。
万が一、自分の想いを受け入れて貰えなかったらと思うと足がすくんだ。
万が一、彼を失うことがあったらと思うと、怖くて一歩も動くことができなかった。
だけどもう、立ち止まっていることすら怖いのだ。

 シカマルが自分と真っ直ぐに向き合ってくれたように、自分も、自分自身としっかり向き合わなければならないだろう。
やり方は知っているハズだ。
ナルトと向き合って行く中で、自分の心と何度も向かい合って来たのだから。


 ――師走も中旬を過ぎ、今年も残すところあと1週間となった。
この時期の木ノ葉の里は護衛や商店の手伝いなどの低ランク任務の依頼が多く、下忍や中忍を中心に、皆忙しく飛び回っていた。
少し前まではイルカも任務に赴いていた時期であるが、教頭という役職を得てからは任務へ向かう数も減り、その代わり、年明けからの学習計画などの最終調整へ時間を割くようになった。
未だ現役で授業も受け持たせて貰っているが、この教頭の職務にもやりがいを見出している。

 イルカはあの後、震える手で筆を取り、一通の手紙を書いた。
傷つけてしまったシカマルへ、不誠実だった自分を恥じて、心からの謝罪を書き綴った。
そして、この日に勇気を出す為に、ほんの少し力を貸して欲しいと添えた。
手紙の返事は来なかった。
だが、優しいシカマルのことだ、きっと力を貸してくれるのだろう。

 執務室の扉を叩く。部屋の中の気配はひとつ。
人払いをしてくれたであろうシカマルに、ありがとう、と心の奥で呟いた。

 さぁ行こう。
カカシと、そして、自分の心と向き合う為に。


 ――カカシはその日も火影としての業務に追われていた。
日中、挨拶まわりの為に訪れた商店街で、人々の声を直に聞いて回って来た。
どこまで本音を話してくれたか分からないが、根気よく付き合いを続けていく中で良好な関係を築いて行ければいいとカカシは思う。
木ノ葉の里をより良い里にする為には、店の店主やその店を利用する者の話に耳を傾ける必要があるだろう。
そこで得た情報を元に、この里に必要な政策はなにか、また、不要な要素はどこなのかを1つずつ洗い出していく。
本来ならばシカマルにも意見を求めたいところだったが、今日のシカマルは何故だか不機嫌で、シズネと共に早々に仕事を切り上げて帰って行ってしまったのだ。

 ……オレ、何かしたかなぁ。

 一人で進めても効率が悪い。自分も今日は切り上げて休息を取った方が良さそうだ。
書類をまとめ帰り支度を進めていると、扉の向こうに見知った気配を感じた。
もしかして、イルカ先生かな?
仕事はもう終わる頃だし、提出の必要のある書類などは頼んでいなかった筈だ。
急ぎの用事でも出来たのだろうか。何にせよ、顔を見れるなら嬉しいが……。
カカシは少し緊張した面持ちで、どうぞ、と促した。
声は少し上ずっていた。

「失礼します」

 穏やかな声が響く。やっぱりイルカ先生だ!
扉を開けて現れる姿にカカシの気持ちは上昇する。
でもダメだ、仕事の話かも知れないし、落ち着いて対応しないと……

「どうしたの?」

 努めて冷静な声を作ったつもりのカカシだが、どこか浮かれた気配が漂ってしまう。
イルカはこれが苦手なのだ。しかし、今日はとことんまで向き合うと決めた。

「もうお帰りですか?」

「うん、シカマルたちも帰っちゃったし、オレもたまには早く切り上げようかなって……
 あ、でも時間がないわけじゃないから、大丈夫ですよ。先生は、仕事の話?」

「ああ、いえ、そうではなくて、今日は個人的なことで、ちょっと……話がしたくて」

 話とはなんだろう、と思いつつ、仕事ではないというイルカに、カカシの口角は上がっていく。
なんだろう。仕事以外でイルカ先生と話すのは久しぶりだな。
久しぶりに食事に誘ってもいいのかな?
ニコニコと機嫌の良さそうな顔を浮かべるカカシを見て、イルカは胸が苦しくなる。
こんなにも嬉しそうな顔をしてくれるのに、何故何も言ってくれないんだろう。
オレはどうしたらいいだろう……。
先に口を開いたのはイルカだった。

「その顔……やめてくれませんか」

「……え?」

「その、嬉しそうな顔……いつもオレと会うとその顔しますよね……それってどういう……」

 目を泳がせていたイルカがカカシと視線を合わせた瞬間だった。
背筋をゾクリとしたものが走り、部屋の温度が下がったように感じた時はすでに、イルカはカカシによって後ろ手に捕らえられ、身動きが取れなくなっていた。
そのまま上半身を机に押しつけられる。机の上の書類が音を立てて崩れ落ちていった。

「誰に何を聞いた?」

 冷たい声が耳元から聞こえる。
イルカは一瞬これがカカシの声だと判別できなかった。

「なんの、ことですか」

「しらばっくれるなら腕を折るよ」

 ギリリと腕を締め上げるカカシ。
少しでも気を抜いたら本当に腕を折られそうだ。

「誰にも、なにも、聞いてません……っ!」

「ああそう……」

更に腕を締め上げられ、必死に抵抗するイルカ。

「やめ、て、くださ、」

「やめないよ」

「……っ!」

「オレはこの気持ちを止めるつもりはないよ。誰に何を言われても。それが先生でも……」

 なんだなんだなんだこの人は!
カカシの一方的な態度に、イルカは段々と腹が立って来た。

「この…っ!!」

 関節を外して脱出を試みるが完全には抜け切れない。
このやろう。
それでもほんの少し出来た隙間を狙って頭突きを仕掛けるが、これも避けられる。
次の動作を見極める為にカカシが身構えた瞬間、イルカは声を張り上げた。

「コラ!!!!!!!!!」

 一瞬怯んだ隙を逃さず残りの腕を引き抜くと、イルカはそのままカカシの脳天に拳を振り下ろした。
利き腕の関節を外してしまったので、逆の手での一撃だ。

「人の話を聞け!!!!!!」

 そこで執務室の扉が勢いよく開かれた。

「ちょっと、何やってんすか!」

 現れたのは、騒動を聞きつけたシカマルだった。

「お前はちょっと黙ってろ」

 カカシの冷たい声がシカマルを制する。

「いいや、シカマルからもなんとか言ってやってくれ、この分からずやに!」

 今度はイルカがシカマルをけしかける。

「ちょっ、ちょっと待って下さい何があったんすか!」

 困惑するシカマルをカカシが睨みつける。

「なに、お前もグルなの?」

「はぁ?」

「だっておかしいでしょうよ、誰にも明かしたことないはずの情報が漏れてんだから、身近に密偵が潜んでたってことでしょ」

「ええ!?」

「まだそんなこと言ってるんですかあんた!!!」

 怒涛の勢いで怒鳴りつけるイルカ。
窓の外に控えていた暗部も姿を現し臨戦態勢を取る。

「あんたがオレのことを好きだなんてことは、誰だって知ってることなんですよ!!!!!!!!!」

 イルカの渾身の叫びを聞いて、カカシの殺気が霧散する。

「……………………うそ」

 カカシの様子を見て、イルカは深く深くため息をつきその場に崩れ落ちた。

「え、な、なんで!なんで知って……え!?」

 混乱するカカシにシカマルが冷ややかな視線を送る。

「六代目、それマジっすか……?あんなダダ漏れの気配漂わせておいて、それはないっすよ……」

「ええ!?」

 カカシは窓の側に控える暗部の元に駆け寄り、お、お前も?お前も知ってるの?と尋ねる。
暗部は当然首を縦に振るわけだが、カカシはそれに衝撃を受ける。
そうこうしているうちに、外した関節を元に戻したイルカが気を取り直して立ち上がる。

「カカシさんがあからさまにオレを好きなのになにも言って来ないから、オレもどうしていいのか分かんなかったんですよ」

 呆れた様子のイルカと目を合わせ、カカシは顔を真っ赤に染める。

「ええ……なにそれ、オレ、かっこわるい……」

 シカマルは思った。めちゃくちゃめんどくせぇ、と。

「あのー。もう帰ってもらっていいっすか?オレ戸締りしとくんで」



 ――シカマルに半ば強制的に執務室を追い出されたカカシとイルカは、夜の里をとぼとぼと歩いていた。

「あの……先生、ごめんね」

 イルカの機嫌を伺うように恐る恐る声をかけるカカシ。

「何に対しての謝罪ですか?」

 呆れて返すイルカに、カカシは更に身を縮めてしまう。

「その……いろんなこと……」

 これ以上凹んだら身体ごとどこかへ行ってしまうのではないかと思うほど縮こまってしまったカカシを見て、イルカは一つ、息をついた。
そして足を止め、カカシへ向き直る。

「オレも、謝らないといけない事があります」

 視線を上げたカカシの目をじっと見つめ、イルカは決意を固める。

「……オレも、あなたのことが好きなのに、今まで黙ってて、すみませんでした」

 カカシは、胸が締め付けられるような気持ちになった。
イルカの目は、嘘を言っている目ではなかった。
だけど信じ難かった。まるで夢のようだと思った。

「ホントに……?」

 思わず不安げな声が出る。
そんなカカシに対して、イルカは少しいたずらな声で、嫌ですか?と尋ねた。

「嫌じゃない!」

 瞬時に首を振ったカカシを見て、イルカは嬉しくなって、カカシの手を取り、そのまま駆け出した。

「ちょ、ちょっと!」

 焦るカカシだが、イルカはもう止まれない。
ずっと恋焦がれて来たカカシの手を、今初めて握っている。
想像していたよりも暖かく、そして布越しだが少し汗ばんでいるのがわかった。
それがすごく嬉しくて、イルカは声を上げて笑った。


 ――顔を真っ赤に染めたカカシとその横で快活に笑うイルカの姿は、里のあらゆる人に目撃され、やがてふたりの仲は公然のものとなった。
奇しくもその日が、"クリスマス"と言われる、火の国に流行し始めていた行事の前夜であった為に、
"クリスマス・イヴに恋人と過ごすと幸せが訪れる"という噂が木ノ葉中を駆け巡ったのだという。

 カカシにとってもその日は忘れられない1日となったようで、その日のことを尋ねられた際、カカシは決まってこう語り出す。

「人生で一番の幸せってなんだと思う?」

 そして最後はこう締めくくるのだ。

 ふたりは末永く、幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。


written by きのミル(@kinomille_kkir)

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